LOGINビタリ王国の国防を担い軍事力を示す象徴的存在でもある筆頭魔道士団を率いて、トリアイナ魔道士団の首席魔道士ウアイラが王都ロームルスで国王と王族の殺害に及んだという意味では、クーデターに近い謀反を起こした一八八九年の大晦日の早朝。
地球でのイタリアと酷似した国土を持つビタリ王国で、中部に位置するイタリアの首都ローマとほぼ同じ位置にある王都ロームルスから北西に四百キロメートルほど離れた、イタリアでいえばジェノバとほぼ同じ位置に国土を有すウァティカヌス聖皇国でも一つの事件が起こった。 サン・フィデス大聖堂からも程近い聖皇国の中心地にあるホテルの二階に、旅行客に扮したシャマルの姿があった。 ビタリ王国の第三王女であるソフィアが滞在する客室の前に立ったシャマルが「ラーミナ・ウエンティー」と最小限の声量で詠唱を済ませる。 自身が放った風の刃によってドアを破壊し、客室へと押し入ったシャマルを待ち構えていたのはイフリータだった。 火属性の召喚獣の一種である魔人イフリータは身の丈二メートルほどの女性の姿をしており、艶めかしい褐色の肌が透けて見える薄衣だけを纏わせている。 眼前にイフリータが立っているという想定外の事態に目を見開いたシャマルは「ここは一旦退くべきだ」と咄嗟に判断した。 「ラーミナ・ウエンティー!」シャマルが詠唱しながらイフリータに向けて右手をかざし、風の刃を射出する。
凄まじい速度で迫る風の刃を、その軌道を読んだイフリータが炎を纏った拳で殴り飛ばす。「くっ……クッレレ……」
イフリータが難無く霧散させた風の刃を見て、逃走の時間稼ぎすら許されない焦りのまま自身を加速する魔法を詠唱しようとするシャマルに素速く接近したイフリータが、驚愕の表情を浮かべる横っ面を拳で殴りつけた。
物凄まじい威力の打撃によってシャマルは吹っ飛び、壁に打ちつけられる。 頸椎の骨折によって即死したシャマルを見下ろすアルトゥーラの視線は、蔑みを隠さない冷えきったものだった。「魔道士でありながら、その誉れを捨てて暗殺の真似事など……しかも殺気すら完全に消すことができない暗殺者もどき。戦場とは違う儀礼も制約もない戦闘への対応もお粗末ときた……」
アルトゥーラが侮蔑を口にしながらイフリータの召喚を解除すると、隣の寝室から恐る恐る顔を出したソフィアがか細い声でアルトゥーラの名を呼んだ。
「アルトゥーラ卿……?」
「早朝からお騒がせしました」アルトゥーラはサッと表情を笑顔に変えて、アルトゥーラへと振り向いてみせた。
「いえ……その男は?」
「アサシンの類いです。ご安心ください。もう死んでおります」 「アサシン……」ぼそりとつぶやきながら中肉中背の中年男性であるシャマルの死体を見たソフィアは、驚きを隠さずに死体となった男の名を口にした。
「シャマル卿……!」
「ご存知の男でしたか」 「あ、はい……トリアイナ魔道士団の第八席次。シャマル卿です。どうして……シャマル卿が……?」 「そうですか……ソフィア殿下。本日の予定はキャンセルといたします。しばらくは宮殿に」 「わたくしが、なぜ……ビタリで、一体なにが……」 「分かりません。ですが、今は御身の安全が最優先です。ご安心を。聖皇国の宮殿は世界でも最も安全な場所です」アルトゥーラは十六歳とは思えぬ落ち着いた声で、ソフィアを安心させるように言った。
十四歳にしては幼さを残すソフィアが無言でうなずく。 筆頭魔道士団の第八席次であるという男の行動に、アルトゥーラは政変の匂いを感じ取った。 ウァティカヌス聖皇国をその国土の中に含み、歴史ある西方の列強の一つとして数えられるビタリ王国の一大事に対して、どこか昂揚している好戦的な自分がいることを認めたアルトゥーラは胸のうちで自身を戒めた。アクーラが勝者となった模擬戦を見届けたラブリュス魔道士団側の反応は、連合側の喝采を引き立てるかのように対照的で静かなものだった。 ヴァイオレットだけが敗者となったアリアのもとへと駆け寄ったが、そのヴァイオレットも寄り添うだけでアリアへ声を掛けることはなかった。 無言で歩き始めたティーダとダイキを先頭にして、ラブリュス魔道士団は撤退を始めた。 ぞろぞろと河川港へと向かって歩を進める漆黒の軍服の列にアリアは無言で加わった。 この場を去るダイキを見送る形となったアルテッツァもまた無言だった。 胸中で浮かんでは消える言葉たちを喉の奥で堰き止めるアルテッツァと視線を合わせたダイキが、「アルテッツァ卿!」 と大声で呼び掛ける。 唐突な呼び掛けに驚くアルテッツァに対し、撤退の足を止めたダイキは一度大きく頭を下げると、離れたアルテッツァへ届くよう大声を張った。「こんなこと言える立場じゃないってことは重々承知の上で、敢えて言う! カイトを頼みます!」 今後のキーパーソンとも成り得る「裏切りの聖魔道士」が発した意外な言葉に、この世界でも指折りの魔道士たちが疑問の視線を向ける中でただ一人、首肯を返したアルテッツァは微苦笑を浮かべていた。「元より承知!」 アルテッツァの大きな声での返答を聞いたダイキは右手を挙げて応じると、もう一度大きく頭を下げてから撤退の列へと戻った。 ラブリュス魔道士団が去った広場に、それまで建物に籠もっていた街の住民たちがおそるおそる様子をうかがいに出てくる。 アクーラにポンっと背中を押されたクラリティは、広場の中央にある噴水のもとまでゆっくり歩を進めると、一様に不安を浮かべる住民たちに向かって宣言した。「ご安心ください! セナート帝国は撤退しました! ここに集っている世界屈指の魔道士たちはヒンドゥスターンの味方です!」 クラリティが高らかに宣言すると、住民たちが一斉にわっと歓声を上げた。 ベンガラの役人たちは吉報を伝えるために街中を走り回り、カンカンカンと短い間隔で鳴っていた警鐘に代わって長い余韻を持つ教会の鐘が平時の再来を告げた。 カイトら十名からなる連合サイドの魔道士たちは、一旦ベンガラに滞在することを決めると役場ではなく宿へと移動した。 ヒンドゥスターン王国内に構築されたブリタンニア連合王国の情報網によって、即日ヒンド
アクーラとアリア。 この異世界で二十人しか確認されていない魔範士の中でも特異な存在である二人は、双方とも召喚魔法の行使に必要な精神の集中とイメージの構築を無視するような速さで召喚を済ませてしまった。 通常の召喚であれば魔法陣から異形を現すはずのロキとベルゼブブは、真紅と黄金の幻影として一瞬その波動のみを覗かせると、アクーラとアリアそれぞれの全身を覆う真紅と黄金の発光する衣となった。 先に仕掛けたのは、黄金の光を全身に纏ったアリアだった。 およそ人体の速度とは思えない凄まじい速さで突進するアリア。 アリアはその小さい両手の細く華奢な指の先に発生させた、超高速で旋回する黄金に輝く風の刃を振るいアクーラに斬り掛かった。 落ち着き払った表情のままアリアの突進を直視していたアクーラは、「芸のない先手ですねえ」 と応じる声とともに、右手に成形したレイピアの如き青白い炎の剣でアリアの鋭い風の切っ先を受け流してみせた。 その小さな身体を黄金に発光する弾丸と化したアリアが、「その余裕ごと切り裂いてあげるよっ!」 と張り上げた声とともに剃刀のように鋭い方向転換をみせアクーラへの猛攻に出る。 カイトの動体視力では見切ろうとする気が早々に失せてしまうアリアの高速での連撃を、アクーラは舞うように全て受け流してみせた。「これは、もう……」 ボソッと自分にとっての天敵同士が繰り広げる異様な戦闘を目の前にした茫然を漏らしてしまったカイトの左肩に、そっとファセルの左手が置かれる。 背後から身を寄せたファセルは、カイトの耳元でささやいた。「常軌を逸してる光景よね。それでも、よく見ておきなさい。あなたにとっても貴重な機会ですからね」 ささやきかけた助言に「はい」と素直にうなずいたカイトを、安心させるようにファセルが補足する。「一見するとアクーラ卿が防戦一方に見えるだろうけど、大丈夫よ。ベルゼブブを憑依させたアリア卿の強みは速さ。その速度に対応している時点でアクーラ卿に負けはないわ。それに、アリア卿は魔範士クラスとの戦闘をあまり経験していないみたいね」「そこまで、分かるものなんですか?」 率直な疑問を口にしたカイトに対し、ファセルは柔らかな口調のまま即答した。「ええ、魔範士ともなれば、魔力を一気に注ぎ込むような猛攻は不利になるのがセオリーなの。相手の出方に合わ
その愛らしい顔と小柄な身体でもって、己の不遜を敢えて誇示してみせるアリアを正視しながら近付いたアクーラは、身長差のあるアリアを見下ろす位置まで寄ってから足を止めた。「卿が返り血で興奮するっていう狂乱の魔範士ですかあ」 軽蔑を露わにしたアクーラの第一声に対して、アリアは不遜な笑みを浮かべたままアクーラの胸元に山吹色の刺繍で標されたローマ数字に目をやった。「そうだよ。ボクが戦闘でしか興奮できない変態の南方元帥、アリア・ヴォルペってわけ。メーソンリーの第三席次ってことは、卿が植民地を血で染めた功績で出世した「鬼神」アクーラ卿ってわけだ」 出会い頭の応酬で既に臨界へと達した二人の殺気を間近で受けながらも、立ち会いを務めることとなったシルビアは冷静な態度を崩さなかった。「ラブリュス魔道士団の第六席次を預かる、シルビア・ゲルツと申します。立ち会いを務めます」 シルビアの声に反応したアクーラが、挑発を含んだ笑みから品定めする者の微笑へと表情を変える。「こんな形で顔を合わせることになるとは思いませんでしたねえ、シルビア卿。メーソンリー魔道士団の第三席次、アクーラ・ウォークレットですよお。よろしくお願いしますねえ」「こちらこそ。よろしくお願いいたします」 余裕を保って軽い会釈を返すシルビアに対し、アクーラは品定めする視線のまま応じた。「流石はセナート帝国の内政を掌握するグロリア卿の懐刀と呼ばれる方ですねえ。肝が据わってる。ヘイムダルを操らせたら右に出る者はいないって噂も、どうやら本当みたいですねえ」 探りを入れるアクーラの言葉を、シルビアは当然のように受け流した。「買いかぶりですよ。私はヘイムダルを行使することに特化した魔教士で、情報に携わる中でグロリア卿に目を掛けていただくようになった、というだけのことです」「アタシが最も警戒しなきゃいけない魔道士は、やはりシルビア卿。貴殿のようですねえ。ロキの敵とも、フレイヤの首輪の探し手とも呼ばれるヘイムダルの使い手が、セナート帝国の中枢にいるってのは、どうにも宿命染みてますよねえ」 その言葉に違わず、明らかに警戒をシルビアへと向けているアクーラの態度は、アリアの自尊心を刺激するには充分過ぎるものだった。「始めようか。卿の相手はボク、アリア・ヴォルペだ」「そうでしたねえ。じゃあ、始めましょうかあ。シルビア
「ここに揃ってるメンツだと、席次が一番高いのはシルビア卿だからね。立ち会い、お願いできるかな?」 アリアに立ち会いを頼まれたシルビアは、やれやれといった表情を作ってみせて答えた。「……分かりました。ただし、相手が応じるのなら、ですよ?」「それは大丈夫、応じるよ。間違いなくね」 にたりと笑いながら応じたアリアは、つかつかと軽い足取りで広場の中央にある噴水へ向かって歩を進めた。 アリアとその後に続くシルビアの姿を視認したアクーラが、対峙する同盟側の魔道士の中で真っ先に反応を示した。「なにやら、二人ばっかし、のこのこ出てきましたねえ」「え!?」 アクーラらが待つ同盟側の魔道士たちのもとに戻り、状況が一変したことを報告していたカイトはアクーラの声に驚き「えっ!?」と声を上げながら振り返った。 広場の中央にある噴水に近付いたアリアは、足を止めることも無く遊びに誘う声で同盟側の魔道士に向かって声を掛けた。 「おーい! ラブリュスのアリアだけど、誰か、ボクと模擬戦やんない?」 アリアの場違いな声を聞いたアクーラが、誘いに応じるように首をポキリと鳴らした。「だ、そうですよお。そんじゃ、アタシが行かせてもらいましょうかねえ」「まっ、待ってください! 模擬戦に応じる義理なんてありません」 慌てて止めに入るカイトへ視線を向けたアクーラの表情は、微かな笑みを浮かべていたが瞳には強い光を孕ませていた。「そうはいきませんよお。あっちはうちの大事な魔道士を二人も殺してるんですからねえ。それに、まだ初めての恋も知らなかったっていうアパラージタの魔道士も。ですよね? クラリティ卿」 アクーラに声を向けられたクラリティが静かにうなずく。「はい……わたしにとって、弟のような存在でした……」 瞳を潤ませたクラリティの言葉を受けて、アクーラが決意を示した。「メーソンリーのエースナンバーを背負う者として、仇討ちを為さねばならない身ですからねえ。ここはアタシが行かせてもらいますよお。カイト卿。卿もご存知の通り、魔道士同士による戦場での模擬戦はウァティカヌス法で明文化こそされてなくても、決闘から派生した名誉を懸けるものとして今でも意味を持ってます。筆頭魔道士団に属する魔道士にとって、名誉は非常に重いもんですからねえ。まあ、安心して見ててくださいよお。ああいうガキの鼻っ柱を
魔道士は国防を担う存在として、既存の社会構造を踏まえつつ移りゆく情勢との兼ね合いを探っていくのか、あるいは既存の権力構造を覆し魔道士が権力を掌握することで歴史の舵を取るのか。 今後の世界を二分する対立軸と成り得る二つの陣営で、その主戦力を担うこととなるエース級の魔道士たちが、田舎町の広場という僅かな距離を隔てて対峙している。 否応なく張り詰める空気をまるで気にする様子もなく、軽い足取りでティーダたちのもとへ戻ったダイキは、休日の行き先が決まったことを伝えるかのように撤退の決定を口にした。「そんじゃまあ、予定通りに撤退ってことで。よろしく」 ダイキの口調に対し、半ば呆れたといった表情を浮かべてみせたティーダは、「はいはい……そうと決まれば、こんな暑苦しいとことはさっさとおさらばするとしよう」 と了承を返した。 ティーダへ微苦笑を向けたダイキが、ラブリュス魔道士団の威光を示す漆黒の軍服の胸元を掴んでパタパタと空気を取り込みながら応じる。「そうしよう。この軍服は、この土地には合わんて」 ダイキの様子に不満の表情を浮かべていたアリアが、「やっぱさ……つまんないなあ。ぜんぜん面白くないよ」 と駄々をこねる子供の口調で不平を口にする。 ダイキはすまなそうな表情を作りながらアリアへと視線を向けた。「まあ、愉しむ気満々だったアリア卿にはほんと申し訳ないんだけど、この場の差配は俺に任されているってことで。今回だけは俺の顔を立ててくれないかなあ」 なだめる口調だったダイキとは違い、ティーダがアリアへ向けた口調は諭すものだった。「差配はダイキ卿に任せる。それが陛下の下知だ。それを承知の上で、卿は不服を口にするってのか?」 ティーダの言葉を受け流すように、アリアは視線を斜め上の空中に向けたまま答えた。「うーん……やっぱさあ、つまんないものはつまんないんだよ。アナン親子が対面するってためだけなら、こんな大仰なお膳立てなんて必要ないでしょ。こんな豪華なメンツが揃ってるのにさあ、立派な矛を交えることもなしで、はい、さよなら? そっちのがぜんぜん不自然じゃない?」 アリアの物言いに同調したのはヴァイオレットだった。「あたしも、そう思うな」「だよねえ?」アリアはヴァイオレットを一瞥してからダイキへと視線を向けた。「ダイキ卿。卿の顔は立てて撤退すること自体に
「父さん……いや、ダイキ卿。あなたを父親として呼ぶことに、俺は強い違和感を持ってしまいました。今後は名前で呼ばせてもらいます」 血の繋がった実の親子としての関係を、子供のほうから拒絶するという意思を示したカイトに対してダイキは、「まあ、それも当然だわなあ。おまえの好きにすりゃあいいよ、呼び方なんてな」 と薄ら笑いを浮かべつつ受け入れた。 異世界で十五年ぶりに顔を合わせた実の父親に向かって息子なりの抵抗を思い切ってぶつけてみたカイトにとって、ダイキの反応は失望を通り越して諦観を抱かせるものだった。「大事なことなので、確認しておきますが、ミズガルズ王国に戻る気はもう無いんですね?」「ああ、ないよ。今の自由な生活が気に入ってるんでね」「今は自由、なんですか?」「ミズガルズに比べりゃ断然、な。それに、治癒魔法ってのはひとつの国が独占するもんでもないだろ。ミズガルズにゃオヤジがいる。魔道士としちゃあ引退したかもしれんが治癒魔法の使い手としては現役だ。おまえもミズガルズに縛られる必要なんか無いってことさ」 世間話でもするように持論を語るダイキに対してカイトは、「俺はミズガルズ王国を護る筆頭魔道士団、トワゾンドールの首席魔道士です」 と静かな口調の中に毅然とした拒否を含ませて答えた。「気に入ってるのか? 今の立場を」「自分の今の力を受け入れた上で、俺が選択したこの世界での立場です。気に入る気に入らないの話じゃない」「おまえ、マジメだなあ……」 呆れた表情を浮かべてみせるダイキに対して、カイトは同じ質問を返してみることにした。「ダイキ卿は、今の立場を気に入っているんですか?」 ダイキは「んー、立場ねえ……」と顎を軽く掻いてから質問に答えた。「気に入ってるちゃあ気に入ってるのかもな。まあ、認識しなきゃこの世界でも生きてけないしな、立場ってやつは。セナート帝国には俺の治癒魔法で助かる人が大勢いる。ミズガルズより人口が多いセナートに俺がいるってのは、逆に自然な流れなんじゃねえかなとも思ってる」「自然な流れ、なんて虫のいい話が通ると本気で思ってるんですか? 現実に犠牲が出た戦争によって囚われた、トワゾンドールの元首席魔道士なんですよ、卿は」 即座に反論を口にしたカイトへ向けて、ダイキは軽い首肯を返してみせた。「まあ、その通りなんだけどさ。おまえは







